今年の PCA は、とにかくアドベンチャラスでいろいろあったのですが、その極め付けが最後の最後でしょう。

 6月17日土曜日、私は少々寝坊してアセって知人宅を出て Baltimore 国際空港まで車を走らせました。ここから一旦シカゴに行き、成田へ向けて帰国です。
 シカゴでのトランジットは約1時間と短いのが実は少し心配でした。そしてこの心配が大当たりしてしまいました。

 シカゴは、昔郊外に1ヶ月ほど滞在していたことがあり家族ぐるみで付き合っている友人などもいて、今までに何度も訪れている所です。個人的にとても好きな街でもあるので、アメリカで国内便の乗り継ぎをしなくてはならない場合は、もし何かがあった時にすぐ近くに連絡が取れる人達がいるという安心感もあるシカゴをトランジットに選んできました。今回もシカゴ経由で、飛行機からミシガン湖畔に広がる摩天楼を見ると、アメリカに帰ってきたな、という気がします。今回はそのシカゴ選びがまさに活かされました。

数年前にシアーズ・タワーから撮ったシカゴの街。奥はミシガン湖

 今回の帰り、Baltimore でまずシカゴ行きの飛行機が遅れました。トランジット時間が短いのが心配で、機内で係の人にシカゴで飛行機に間に合わないかもしれないので心配なのだが、と言うと、着いたらすぐにどこそこのカウンターに行きなさいと言われました。巨大なオヘア空港到着と同時にまっすぐそのカウンターに行くと、タッチの差で成田行きの飛行機はすでに出てしまった後でした。今まで私は何度かアメリカの国内線で乗り継ぎ客のいる便が遅れているから、その到着機を待っているという理由で自分が乗っている飛行機の出発が遅れるという経験をしています。そんなんで今回、私は待つ方ではなく自分が飛行機を待たせている方だとばかり思っていました。つまり、成田行きの飛行機は待ってくれているもの、と気楽に考えていたのです。ところが定刻通り出てしまった後で、その便の約1時間半後に出る成田行きに振り替えをするからそちらに乗れと言われたのです。
 仕方がないので空港内で昼食をとり、次の便を待ちました。ところが、待合室で待っていると、飛行機の出発時間が近づくにつれてどうも様子がおかしいのです。アナウンスが始まり、なんと、heavily overbooking で全員が飛行機に乗れないと言うではないですか。ホテル宿泊、3食分のミール・チケットと500ドルの小切手を出すのでボランティアで翌日の便に乗り換えてもいい希望者はいないか、と。とんでもないことになったと思いながら、こちらは翌日から仕事の都合もあるし、預けている犬達のこともあるので自分が乗れるよう祈るしかありません。搭乗が始まり、飛行機の出発ギリギリまで待たされた揚げ句、なんと私を含めて3人がついに飛行機に乗ることができなくなってしまったのです。
 冗談じゃない、自分のミスで乗りそこねたのならばともかく、リファンドで済む問題じゃない、他の航空会社の飛行機に乗れるよう手続きはできないのか、もう一度東海岸に行ってもいいから NY−成田とか、Washington Dalles−成田とか、乗れる便はないのか。西海岸経由は?SFO−成田、あるいはLA−成田は?と、かなり頑強に粘ったのですがどれもダメ。唯一、大阪着というのがあったのですが、夜遅い上、私は成田に車を置いてきていて、どちらにしても成田に行かなくてはならないことを考え、ついに諦めました。えぇ、もうさんざんカウンターで文句言いましたよ。仕事のこととかあるから連絡しなくちゃいけないのに、時差があるんで日本に連絡も取れないじゃいの!とも。

 一瞬どうしよう?と思った私はそこで腹をくくり、えい、こうなったらシカゴで遊んで帰ってやる、と決意しました。電話をかけたいのだが小銭がない、と言ってカウンターでテレホンカードをせしめ、私はすぐその場からシカゴ郊外にいるブリーダーの友達に電話をかけました。土曜日なのでもしかしたらショーに出ていていないかな?と思ったのですが(いなければダウンタウンにでも遊びに行こうかと考えた)ラッキーなことに在宅。これからレンタカーして遊びに行くから道を教えて、と、その場で行き方をメモしたのです。
 着替えなどは全部スーツケースの中で、預けてしまっているためにそれを一旦受け取りたいと言って、下の階に移動して荷物を待ちました。ところがこれがアメリカのアバウトなところで、待てど暮らせど出てこない。そこの係員に言うと、トラブル処理のカウンターがあるからそこに行けという。行って話をすると、出ることになっているから何番で待て、とだけ。戻ってしばらく待つも出てこない。時間がもったいないのでその間にレンタカーのカウンターに行き、手続きを済ませました。1時間ほどしても出てこないので、シビレを切らした私は荷物は諦め、もう一度カウンターに行って、もう出さなくていいから、と告げてレンタカーを受け取りに外に出たのです。

 空港レンタカーは、だいたい隣のビルくらいに行けばあるもの、と思っていた私はここであらためてシカゴ・オヘアの巨大さにビックリ。Hertz の看板に従って外に出ると、そこにはなんとシャトルバス。レンタカー借りたんだけど、と運転手に告げると乗れ、と言う。5分以上もバスに乗り空港の果てに連れて行かれました。そして更にそこの巨大な駐車場内をまた同じようなシャトルバスに乗り継いで移動。こうしてやっと自分が借りた車の所に到達するのです。いやはや、なんでこうもデカイのだろうか。こんな空港の端の駐車場から果たして目的地に行かれるのか、ふと不安になりました。頼りはレンタカーのカウンターでもらった周辺地図と電話で口頭で聞いて書いたメモだけです。まぁでもなんとかなるさ、きっと、と思ってちょっと大きめの車を走らせたのでした。


 空港敷地を出ると、すぐに大きな交通量の多い道路に出ます。どっち?と思ったのですが、方角的にはまずダウンタウン方面だ、と見当をつけて車を走らせました。すぐに道案内があるはず、とも思ったので。果たして、すぐに電話で言われたルートの看板が出てきました。R294 South。しかし、周囲の車の流れに乗って走っていて、あ、と思った時にはうっかり間違えて逆方向、R294 North の方に入ってしまったのです。マズイ!そう思ってすぐにその道から外れ、逆方向から戻ろうとしたのですが、くるくる回ってしまって元に戻れなくなってしまいました。おまけに途中で渋滞にもハマル。どこかに車を停めて落ち着いて地図で自分の位置を確認しようと、途中、コンビニに入って飲み物を買い、地図とにらめっこ。よし、わかった、と、そこから車を出した時、やはり私はここまでで相当疲れていたのでしょうね。あんなに右・左に気をつけてずっと間違えることなどなかったのに、ついに逆車線に飛び出してしまいました。向こうから真っ正面に車が来るのをみて、あわてて右側に移動。あー、ビックリした。。。正面から来た車も驚いただろうなぁ。
 なんとか無事に元に戻ることができ、その後は言われたメモだけで順調に友人の家に向かって走りました。空港から36マイル(57キロほど)走り、友人宅に到着しました。途中、仲の良かったメアリおばさんが住んでいたダウナーズ・グローブへ行く標識を見た時はちょっと胸が詰まる思いがしました。2年前に会ったのが最後で、メアリおばさんは去年夏の終りに突然心臓発作で亡くなってしまったのです。次に来る時はメアリおばさんの墓に花を持っていこう。
 約2年ぶりの突然の訪問を、友人は快く迎えてくれました。彼女は長年スタンダードのブリーディングをしていて、5年ほど前に私の方からどうしてもあなたの犬が気に入ったから、できたら譲ってほしいのだが、と連絡を入れてその年にショー会場で会い、それ以来のお付き合いです。短い訪問でしたが、運良く手荷物に入れていた PCA の写真を見せながら、いろいろ、PCA でのこと、見た犬達のこと、話を聞いた他のブリーダーのことなどなどじっくりと話をすることができました。これからショーチャレンジをするという6ヶ月の仔犬もいたし、前に会った犬達もみんな元気でした。
 写真は2年前に遊びに行った時に撮ったものですが、これを見てもわかるとおりここのところ彼女の所では産まれるのはブラックばかり。私の希望がクリーム、もしくは色素のいいホワイトということなので、なかなか譲り受けるチャンスがありません。それにしても、シカゴ郊外、車で1時間ちょっとでも行けばお隣まで歩いて行くのはシンドイというくらいの恵まれた環境になるのはまったくもってうらやましい限り。

 さすがに疲れたし、あんまり遅くなって、更にそれで道に迷ってもいやなので9時過ぎ頃に友人宅を出てオヘア空港に戻りました。せっかく来たんだから泊まって行ったら?と言ってくれたのですが、レンタカーは一日の約束で夜には返さなくてはならないし、時間が遅いとは言え、寝坊して飛行機に乗り遅れてもいやだし、どうせホテルはタダだし、ということで、とりあえず戻りました。今回の友人宅での往復では、インターステーツを乗り継ぎ、あのコインを投げ入れる、というのを行き帰りで2回ずつ経験しました。安いもんです、15セントと40セント。小銭をきちっと用意しておかねばならないんですけどね。(小銭がない場合は、日本の料金所のように支払えるゲートに入れば OK)何が緊張したって、小銭を間違えないように、ではなくて、アミの中にちゃんと投げ込めるかどうか。だって左ハンドルだから右手では遠くて、利き手ではない左手で投げ入れることになっちゃうんだもん。最後は狙いをつけて右手で投げました。でもあれ、みんなちゃんと払ってるのかな?どうやって正しい料金が投げ込まれたかどうかの判断をしてるんだろう?

 無事レンタカーをドロップオフして、シャトルバスで空港に戻り、目の前のヒルトンホテルにチェックインしました。夜10時を回ったところで、ここから私は自分のうち、仕事の関係、犬達を預けている獣医、友人らと、次々国際電話のかけまくり。航空会社からせしめたテレホンカードは当然すぐになくなり、部屋に戻ってしばらく電話に張り付いていました。それからメール。翌日、チェックアウトする時に電話代を見たら130ドルくらいのチャージになっていました。電話代のコピーを二つ作ってもらって、その分も当然航空会社に請求しましたよ。本来は上限50ドルまでしか出さないんだが、っておぢさん、ブツブツ言っていましたが現金で払ってくれました。当然でしょ。あんたんとこの飛行機に昨日乗っけてくれていればこんな余計な電話たくさんかけなくて済んだんだから。(アメリカにいると、遠慮せず自己権利はビシバシ主張してしまう私だった。日本人はつい遠慮しちゃうからソンするのよ。)

 と、まぁいろいろありましたが、今回、飛行機に乗れなくてかえって良かったのかな?という感じでもあったのは事実です。思いもかけずシカゴ滞在ができちゃった上、こうして友人の所に行ってまた犬も見られたし、じっくりブリーディングなどの話もできたし。今回つくづく感じたのは、私も妥協しないけれど彼女もポリシーがあって、ことブリーディングについては妥協しない人だ、ということ。今年の夏に仔犬が産まれるかもしれないという話があったのですが、どうしても気に入って納得できるスタッドがいないから、と、ブリーディングは見送ってしまったそうです。次の予定は(スタッドさえ見つかれば)今年の暮れくらい、という話でした。あなた、PCA でクリームか白のいいオスを見つけてきてくれなかったの?なんて言われてしまいましたが、ほんと、なかなかねぇー、二人ともキライなタイプの犬が同じだったりして、いろいろ考えると難しいです。おかげで私はまだしばらく仔犬を待たねばなりそうです。もしもコレという仔犬が生まれたと言われたら、飛んで見に行っちゃうかもしれません。
 右の犬は、以前友人が引いていたクリームのオス。大柄でしたが抜群に色素がよくてきれいで、しかも性格が穏やかでした。私はとにかくこの系統の色の犬は色素にこだわっています。コッソリ鼻を染めてショーに出してるなんて、ちょっとサギっぽいじゃない?(毛染も、だけど。。)

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