菜々子と出会って、ちょうど10年になりました。 10年前の今日、1992年3月20日、渋滞の首都高速をイライラしながら抜け、東京を縦断して菜々子を迎えに行ったことが昨日のように思い出されます。 「これだよ」 どこに連れて行かれるんだろう?というような不安気な表情で車の後部座席に収まり、一言も声も出さずに大人しく乗っていましたっけ。 |
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←当時1歳4カ月の坊主の菜々子 | ||||||||||||||||
菜々子を引き取ると決めてから、いろいろ迎える為に必要な物は揃えたはずでした。しかし、唯一ケージだけが一日だけ間に合いませんでした。従って着いたその晩、菜々子の寝場所がない。奴はトイレのしつけがまるっきりできていなくて、とてもじゃないけれど信用できない!夜はどこに寝てもらおうか?
幸か不幸か、当時菜々子は階段を上がることができませんでした。考えた末に、多少汚されてもなんとかなりそうな玄関入口、つまり、他に行きようがなく、移動するには目の前の階段を上る以外にない、という場所で一晩我慢してもらうことに。 着いた日の晩、夜一人で階段の下に置かれて、鼻を鳴らして悲しそうに鳴いていたのが今思うとウソみたいです。(笑) ガリガリに痩せて腰骨が突き出ていた菜々子は、当時16キロしかありませんでした。(うーーん、今のリアンとほとんど変わらない!)まるで「私、この数日食べさせてもらっていません」というような勢いで食べる割には痩せ過ぎだったので「まさか、、」とは思いつつ検便してみたら、案の定、山のように(?)回虫を飼っていた。あれじゃぁ、いくら食っても虫に栄養をとられていたわけだ、、、と妙に納得。 そんなこんなで始まった菜々子との生活の当初は、トイレがまず悲惨。次に極度の分離不安。ほんのちょっとの間姿が見えないとか、隣の部屋に行っただけで「ぴぃーぴぃーぴぃー、、、、」 ノド元過ぎれば、、で、今となればまぁ、いい思い出ではありますが、ノンキなダンナは当時のことはもうあまり記憶にないらしい。え〜、そうでしょうよ。アンタは何もしないでただ菜々子とテキトーに遊んで甘やかしてただけだもんね。その分、日々いろいろ苦労したのはこの私だ。のんびりと1時間以上気軽に菜々子連れて散歩に出られることに感謝してほしいもんだわ。。。そうよ、いったい誰がトレーニングしたと思ってんの?これから10年も過ぎれば奴は、また同じことをきっとリアンに対しても言うに違いない。「そんなに大変だったっけ?」って。 思えばあの頃は、本当にスタンダード・プードル、少なかったよなぁー。 私の人生を、ある意味変えるキッカケになった最初の犬はアディだけれど、考えてみると菜々子の方が更に劇的に変えてくれました。菜々子と過ごしたこの10年くらい、私の人生の中で濃かった時はないような気がしています。菜々子と会わなければ会えなかった人、できなかった事もたくさんあるし、今の仕事もしていなかったかもしれない。菜々子自身は、自分のこの10年をどう思っているんだろう?飼い主に付き合うのも大変だ、なんて思っているのかなぁ? 菜々子が来て少ししてからは、夜、3頭連れて桜を見に行くのがしばらく楽しみでした。なんせ忙しかったから夜桜くらいしか見に行かれなかった。(あ、今でもそうだけど) (2002-3-20) |
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ガリガリに痩せていた菜々子は、目玉だけギョロギョロと光っていて、新しい環境に慣れないからか、目つきも今よりずっと鋭く緊張していた。 | ||||||||||||||||
あれから10年。落ち着いたと言うべきか、年老いたと言うべきか。。。とにかく10年なんてあっと言う間だったことだけは確かだ。 | ||||||||||||||||