ティナの子。
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血統書名は、もしかしたら最後の繁殖になるかもしれないという考えもあって、最後に見る夢という意味でつけました。
果たして最後に見た夢になるのかどうか? ですが。。
呼び名のシンディは、シンディ・ローパーから。なので綴りは「Cyndi」となりますが、後にアメリカに連れて行った時に綴りを言わないと Cindy と普通に書かれてしまいました。
名前の由来を伝えると、皆即座に「Girls just wanna have fun!」という言われて、なかなか受けは良かったのですけれどね。

父犬のウィンストンはブラック。
彼の子達は PCA やウェストミンスターで活躍する子が複数いたりと、スタッドとしては実績のあるオスで以前から気になっていた犬です。
2018年にPCAに行き、そこで直接ウィンストンの子を見たりして、ウィンストンのオーナーを紹介してもらって交配の約束をその時にとりつけました。

翌年3月、ティナを連れてまだ所々雪が残り気温は日中でもマイナス10度近くまで下がる寒い時期に一旦シカゴまで飛び、そこからオス犬のいるオハイオまで片道5時間ほどのドライブでした。
交配でアメリカに行っている間は予定のない日にウィスコンシンの知人の所まで遊びに行ったりと、なかなか忙しい滞在でした。この時の話は機会があれば別に紹介するかな。。なんせ日々移動の繰り返しで、短い滞在中にあんなにアメリカをあちこちドライブしたことは今までなかったほどですから。

そうして無事、5月7日に8頭の子犬が誕生。
残念なことに男の子1頭は死んで生まれました。蘇生を頑張ったのですがついに息をすることなく、母のティナに見せても顔を背けて全く見向きもしないので諦めざるを得ないことになりました。すっかり育っていただけに残念な結果でした。後日、バラの足元に産めてやりました。
その他、弱くて育たなかった子がひとり。この子も後日同じバラの足元で眠りことになりました。

普段から甘えん坊で、やや分離不安気味なティナが母親になったら子犬に対する愛情と執着が物凄く強くて驚きました。
哺乳しようと子犬を1匹取り上げると、他に6匹もいるのにそれを全部払い捨てて「返せ、返せ!」の大騒ぎ。おかげで哺乳は毎度大変でした。
この強すぎる母性のせいで、思わぬ事件まで。。
サラがウトウト寝ていたところに子犬が近づいて足をつついたら、半分寝ぼけたサラが子犬に本気で唸って怒り、ティナがそれに即座に反応。あっと言う間にサラに掴みかかって大喧嘩、という事態になった時は驚きました。しばらくこのおかげでサラとティナの間は険悪でした。

ティナと生後4日の子犬達
生後2週間
生後5週間 初めてのクリッピング
ちなみにシンディだけがバリカンを一番嫌がって大抵抗。
生後6週
3ヶ月
8ヶ月半
生後10ヶ月、2020年3月、ジュニアの時にマレーシアのジャッジからウィナーズで初カード。(雨のため写真なし)
しかしこの後、コロナの影響でショーがなくなり1年半以上ショーから遠ざかることになりました。コロナ暗黒時代の影響はしばらく続くことに。(苦笑)
2021年から、なんとかショーが復活。今までのように外人ジャッジが来ない中でやや苦戦。(苦笑)
上:強風の中部インター。ウィナーズビッチでカード。CH差し置いてR.CACIB。

右:年明けに膝を怪我して私が走れず、まともにショーができなかった残念だった日。ちゃんと出来ていれば上げたのに、とジャッジに言われる始末。(泣)

左:本部展。ショーシステム変更後初めてのショー。カードゲット。
上:暑かった福井連合。BOSでCHフィニッシュ。
コロナ後、ようやく海外からジャッジが来るようになり、狙って行ったショーふたつ。
左は、ジュニアのシンディに最初のカードをくれたマレーシアのジャッジでBOS。
右は、シンディの母、ティナに9G展の時に Queen をくれたオーストラリアのジャッジ。
ジャッジ合成ではない記念写真だったので、共に、前にこういう事があったのよ、と話ができて楽しかった。

アメリカの友人らからシンディをアメリカに連れてきてこっちでショーに出せ、とずっと言われていたのですが、コロナの影響で連れて行くことができず、予定よりも1年遅れて2023年4月にようやく連れて行くことになりました。

アメリカでのシンディの様子はこちら